鳴門「撫養湊」を北前船の日本遺産⑤

「福井県坂井市三國の視察報告」

 19世紀に盛行した北前船は、主に北海道の鰊粕(魚肥)や昆布を日本各地に運び、日本経済に大きな影響を与えるとともに日本文化を育んだ。阿波忌部は黒潮航路で鳴門を出発し、関東を拓いた。一方、日本海側にも進出し、数多くの痕跡を各地に残している。その忌部航路の江戸後期版が北前船である。鳴門「撫養湊」は、古代から阿波の主要港で、北前船の時代には、忌部の時代と同じく東西海運の結節点として繁栄した。特に北海道の主要商品である鰊粕(魚肥)を西日本で一番購入していてのは撫養湊であった。その魚肥は、吉野川流域の藍栽培に使用され、ジャバンブルーを生み出す原動力となった。
 現在、北前船の船主集落や寄港地が次々と日本遺産に登録されている。撫養湊なくして北前船は歴史的にも語れず、研究所では、徳島県の活性化のためにも、撫養湊の日本遺産登録に向け活動する予定にしている。


 その研究活動の一環として、9月に林博章博士が福井県坂井市三國を視察した。福井県坂井市三国は、かつて北前船で繁栄した三国湊であった。かつて三國を流れる九頭竜川沿いには、北前船を所有する廻船問屋をはじめ、町家、商家、土蔵、遊郭などが軒を並べていた。現在、格子戸が連なる町家、豪商の面影が残る歴史的建造物など、情緒ある町並みが三国湊には残っており、日本遺産に登録されている。


 坂井市三国町汐見の「金刀比羅神社」には、大坂・阿州藍屋中から1846年(弘化3)に常夜塔が、1859年(安政6)に狛犬が奉納されている。これは、阿波藍を積んだ阿波国の廻船が金刀比羅神社の燈火を目印に無事に三国港に入港できた御礼に、大坂で制作された燈籠を奉納したものである。山西家の菩提寺・仙龍寺には、三國から多くの廻船問屋から天井絵が奉納されている。三國と阿波は北前船を通じて深いつながりがあった。



汐見の「金刀比羅神社」