つるぎ町貞光の忌部集落・長瀬の視察

忌部がかつて拠点とした剣山系、現在のつるぎ町(貞光・一宇・半田)の伝統農業は、日本農業遺産に指定、現在、世界農業遺産の認定を目指している。その主内容はカヤ(ススキ)を施用した傾斜地農業、古代刈敷農業であった。5月14日に、長瀬集落を視察に訪れた。

その貞光は、忌部が麻や木綿(ゆう)を晒したが故に木綿麻の里(ゆうまのさと)と呼ばれ、貞光川は木綿麻川と呼ばれている。その木綿麻川の中流域東岸の傾斜地集落の一つが長瀬であり、木綿麻温泉で賑わっている。その中心には氏神となる「五社神社」が祀られ、記念碑には、次のように刻まれている。


長瀬は遠く天日鷲命を祖とする忌部神領であり、古い歴史と伝統の由緒高き誇りとするのであるとする。その長瀬の由来は『長瀬郷土誌』によると、源平合戦の折、安徳天皇が当地に落ち延びてこられた。その母君が安徳天皇を尋ねて貞光方面より木屋平に行く途中、端山村中谷の休場にて休息され、少し登って寒場佐古の尾を通った際、木綿麻川の流れの水面が日光で輝いているのをご覧となり「彼の光り居る所は何処ぞ」と言葉をかけると、供の者が、「光り居る所は長い瀬であります。」と答え、「彼れが長い瀬か」も安徳帝が申された故に長瀬の地名が始まった。

また、長瀬の立石山には忌部神が七つの立石を立てた立石大権現やあまんじゃく石、長瀬古墳などが知られている。過疎化が長瀬集落でも急激に進む中、世界農業遺産の実現とともに忌部集落の再興を願った。美馬郡つるぎ町の忌部伝承地の本の発刊をすることも忌部文化研究所の主要事業として展開したいと思っている。