「鳴門“撫養湊”を北前船の日本遺産へ」が発刊される!
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□2024年9月25日(水)、「東西海運の結節点、鳴門“撫養湊”を北前船の日本遺産へ」の歴史的書籍が発刊された。ページ数は150、オールカラー。書籍はすぐにパネル展示ができる様式で分かりやすく構成されている。江戸後期から明治中期にかけて盛行した北前船は、主に北海道の鰊粕(魚肥)や昆布を日本各地に運び、日本経済に大きな影響を与え、日本文化を育んだ。阿波忌部は黒潮航路で鳴門を出発し、関東を拓いた。一方、日本海側にも進出し、数多くの痕跡を各地に残した。その日本海側の忌部航路の近代版が北前船であった。鳴門「撫養湊」は、古代から阿波の主要港で、北前船の時代には、忌部の時代と同じく東西海運の結節点として繁栄した。特に北海道の主要商品である鰊粕(魚肥)を西日本で一番購入していたのは撫養湊であった。その魚肥は、吉野川流域の藍や甘藷栽培に使用され、ジャバンブルーを生み出す原動力となった。現在、北前船の船主集落や寄港地が次々と日本遺産に登録されている。撫養湊なくして北前船は語れず、今後は徳島県の活性化のためにも、撫養湊の日本遺産登録に向け活動する予定にしている。書籍が欲しい方は、研究所HPより申し込んでください。頒布2,000円。
<書籍の主要目次>
1.動く総合商社「北前船」とは何か
2.北前船の船主集落と寄港地を日本遺産に
3.撫養湊の歴史
4.撫養湊で活躍した人々
5.史料から見る撫養湊の繁栄
6. 北前船の寄港地・北前船船主の町「撫養湊」の日本遺産登録へ(原案)
7. 北前船・日本遺産登録地域等とつながる撫養湊
8.北前船が阿波や日本各地にもたらした影響