No.20 – 「麻宮」(牛島八幡神社)~天日鷲命を祀る麻宮~ 忌部文化研究会 会長 林 博章
令和2年(2020年) 3月 NO.14
日本忌部紀行 “忌部(INBE)を行く!”
忌部文化研究会 会長 林 博章
会員の皆さまには「忌部」の足跡を楽しんでもらう目的で、“忌部を行く”を連載しています。阿波国(粟国)を拓き、日本各地の創生に活躍した阿波忌部の足跡を辿っていきます。中でも阿波忌部が麻を植えて拓いた故事にちなむ旧麻植郡(現在の吉野川市)の伝承地を紹介したいと思います。鴨島町編の4回目は、牛島の「麻宮」(牛島八幡神社)です。
「麻宮」(牛島八幡神社)~天日鷲命を祀る麻宮~
●場 所 - 吉野川市鴨島町牛島字東宮間
●祭 神 - 天日鷲命・応神天皇・息長足姫命・姫大神の他
飯尾川の北岸、式内社「杉尾神社」の西約1kmには、天日鷲命(あめのひわしのみこと)を主祭神とする「牛島八幡神社」が祀られ、真南に向麻山を遥拝できる。創建年代は不詳で、『八幡神社由緒』に「今は焼失してしまったが、天保8年(1837年)の國中神社調の二郎寶王院旧記に、往古第13代成務天皇の時代、朝宮津子二人白丁三人附給ひ後に、巫女三人宮奴二人附給ふ。」と、成務天皇の治世に巫女3人・宮奴2人を賜った神代の古社であったと伝えられている。名西郡神山町阿川にある「二宮八幡神社」の大般若経(嘉慶2年・1388年)の奥書には「牛島八幡神社」とある。『麻植郡回在記(おえぐんかいざいき)』には、「牛島村にまします八幡神社を大宮八幡宮と云へり。元来は苧(お)の宮といひたりしをいつとなく苧宮(おみや)といひ、
終に大宮といへり~」と、大宮八幡宮とも呼ばれ、元来は苧(麻)宮=「おみや」であったが、それが転嫁して「大宮」と称するようになったと記される。『麻植郡郷土誌』には、「郷社八幡神社 往古麻宮(おみや)と称し、後大宮と公称す。麻殖神を祭りし大社なりと云ふ。同村小字神の壇に小祠あり忌部神社を祀る。」とあり、往古「麻宮」と呼ばれ、麻殖神を祀る大社「忌部神社」であったと伝えられている。付近の「神の檀」には、「忌部神社」の小祠があったことが記されている。
明治4年(1871年)の忌部神社所在地論象では、当社(「牛ノ島村大宮」)が「忌部神社」の比定社に挙げられていた。『阿波志』には、「八幡祠 牛島宝王院の側に在り、大宮と称す」、『寛保改神社帳』には「牛島村八幡宮別当牛島村願成寺」と記されている。
入口には随身門があり、随身の姿で左右に帯刀し弓矢をもつ守護神像が左右に配置され、神社の入口を守っている。この二神は閽神(かどもりのかみ)、看督神(かどおさ)と呼ばれ、俗に矢大臣・左大臣と称される。境内には、高さ約20m・周囲約4.4m・樹齢推定約400年の椋の巨木があり、神代に遡る古社の威厳を際立たせている。春に「さくら市」、秋の例祭には神輿や屋台が出て2016年より獅子舞が復活し奉納された。
明治4年(1871年)の忌部神社所在地論象では、当社(「牛ノ島村大宮」)が「忌部神社」の比定社に挙げられていた。『阿波志』には、「八幡祠 牛島宝王院の側に在り、大宮と称す」、『寛保改神社帳』には「牛島村八幡宮別当牛島村願成寺」と記されている。
入口には随身門があり、随身の姿で左右に帯刀し弓矢をもつ守護神像が左右に配置され、神社の入口を守っている。この二神は閽神(かどもりのかみ)、看督神(かどおさ)と呼ばれ、俗に矢大臣・左大臣と称される。境内には、高さ約20m・周囲約4.4m・樹齢推定約400年の椋の巨木があり、神代に遡る古社の威厳を際立たせている。春に「さくら市」、秋の例祭には神輿や屋台が出て2016年より獅子舞が復活し奉納された。