北前船・山西家の調査報告「勝海舟の書」を撮影

・鳴門撫養湊の日本遺産を目指して撫養の豪商・廻船問屋・山西家の調査を行っている。東西海運の結節点となった近世撫養湊の動きは、古代忌部の近代版であった。勝海舟(1823~99)は、幕末期の徳川幕府を支え、咸臨丸艦長として渡米、戊辰戦争では、西郷隆盛を説得し、江戸城無血開城を実現させ、明治新政府では海軍大輔、元老院議官等を務めた人物として知られている。その勝海舟の書が、山西家には保管されていた。その貴重な書は、現在、徳島県立文学書道館に寄託されており、4月28日に撮影した。 

・この勝海舟(かつかいしゅう)揮毫(きごう)(毛筆で文字を書く)扁額「水煖千船麗」(写真)の文意は、緩やかな水面に数多くの船が浮かぶ情景の美しさを嘆じたものだという。「山西氏嘱」という末尾の文言からは、山西家のために、勝海舟が筆を執ったものと考えられている。